「山の湯宿の開湯と手続き」
〜今に伝わる裏ばなし〜
白布温泉「東屋」第38代館主 宍戸 康裕
1.温泉開湯のいきさつ
白布高湯温泉は100年に1度、大祭と一体の地蔵様を建てる事にしている温泉で平成23年(2011年)には開湯700年を迎え7度目の大感謝祭を行います。
平安期頃からの話や伝説が伝わる古くからの温泉も沢山ある我国の温泉事情の中では、鎌倉時代末期の開湯と比較的新しい温泉かと思います。
永徳3年(1383年)に当旅館3代目を継いだ宍戸惣蔵が、息子惣助に伝えた文書の写し(※1)「往昔人皇九十四代花園院御宇正和元年亥暦初而智一発祖出羽郡司佐藤庄司の後胤宗純入道......」で始まる「温泉濫觴湯神創傳記」(おんせんらんじょうゆしんそうでんき)を基に温泉開湯の経緯を記してみました。

鎌倉幕府執権北条時宗は蒙古軍襲来で苦労し、弘安7年(1284年)34才で没していますが、族党3~4名出家しているのを念頭に、北条氏系の御家人佐藤宗純は出家を志し、先祖地出羽国の総鎮守羽黒山を頼り、その紹介にて置賜郡笹野邑幸徳院にて、「有無」と称し修行。没年令を逆算すると39才の時です。
幸徳院は当時、羽黒山系の有力寺院として信頼厚く、有無は笹野観音幸徳院の導きにより現在の白布高湯温泉を発見。薬師如来の使い十二神将のお告げにより薬師如来を拝し、人の衆々の病悉くを除き、身心の安楽を願うべく正和元年(1312年)6月12日開湯「影向(ようこう)の温泉」と称したとあります。そして3年後の正和4年、鎌倉の妻は3年余りも帰り無きは只事ならずと、出羽国羽黒山を振り出しに巡礼を始め、笹野観音での一夜に吾妻山の山奥に行くようにお告げをもらい山中で無事再会。鎌倉に里帰りをして温泉の効能、笹野観音の霊験等を話し薬師堂の建立、湯治の人の浴舎を建てる事を実現。
幕府から承認を受け入浴の便に努力(※2)。労咳、眼病等12の難病に効くとして大評判に成ったと記されています。
2.「広く認められた温泉に」つづく