「直江山城守兼続と白布温泉の火縄銃製造」
〜現地責任者宍戸家の覚書より〜
白布温泉「東屋」第38代館主 宍戸 康裕
3.工場の体制と材料の運搬
鉄炮製造の総責任者は春日右衛門元忠、工場管理の助言者的立場に直江兼続の娘婿直江大和守勝吉。この人は徳川家康の知恵袋といわれた本多正信の二男で田付流炮術の上手者でもありました。鉄炮製造責任者として張師毎に微妙な違いの指示を出していたのは丸田九左衛門、総務的な面も含め現場の鉄炮製作事業全体の総指揮者は寺島和泉守、こんな形で製造は稼働したようです。

米沢鉄砲(上2挺)
移封前、共に北越後の領主として隣り合い、直江兼続の有力な協力者でもあった色部氏と鮎川氏が共に力を合わせての苦心の末、鉄炮の材料を越後から米沢領内まで運んでおります。その為、鮎川氏の移住は他の家臣と別行動になり半年遅れだったと伝わる程です。なお、色部氏は直江兼続の義弟です。
「4. 上杉藩の評判」へつづく