「山の湯宿の開湯と手続き」
〜今に伝わる裏ばなし〜
白布温泉「東屋」第38代館主 宍戸 康裕
3.室町時代以降
鎌倉幕府が蒙古襲来以降の国内争乱を立て直せず苦しんでいる時期の温泉開湯となりましたが、当家の温泉は穏やかに推移したようです。米沢地区は同じ支配体制のまま、室町幕府時代に移りますが、隣地の伊達氏が長井氏の土地を押領し、天授元年(1380年)米沢地区の領主になります。宍戸家は当初、軍事寄騎として独立しておりましたが、伊達氏の勢力拡大の動きの中で徐々に温泉と宗教に活動を特化。足利幕府の下、当時衰微していた山岳宗教吾妻権現の米沢地区側の祈祷所の資格を得、山伏の協力者にも集まってもらい、本宅附近の外、温泉付近にも小さな祈祷所を設け活況を呈したと伝わります。そんな状態の動きの中で上杉家、直江氏支配時代へと継がることになります。この間、遠藤家には温泉の運営と管理に大変な協力をもらい、白布高湯温泉の名を後世まで残す事が出来たのでした。
第3章「江戸時代の白布高湯温泉 〜上杉藩政の時代〜」へつづく